逃げる、も経営判断

当事務所では、米国MBA学位を保持する弁護士前畑壮志が、経営学的観点から徹底したアドバイスを行っています。

純度の高い経営判断が要求される世界

極めて純度の高い経営判断を行います。プロジェクトファイナンスとは、単なる資金調達の手法ではありません。事業そのものが生み出すキャッシュフローを見つめ、「この事業をやるのか、やらないのか」を判断する世界です。今回は、そのプロジェクトファイナンスの現場で、経営判断について私が経験した一つの鮮烈な体験から導かれた、経営判断の原則の一つを記します。

ある事業について、プロジェクトファイナンスによる事業化を検討する機会がありました。事業そのものには、十分に検討する価値がありました。事業計画を作り、収益構造を見直し、固定費の徹底的な変動費化を検討します。そして、プロジェクトファイナンスとして、事業から生み出されるキャッシュフローを返済原資とした、必要資金の調達をします。財務モデルではストレスケースを採用し、その前提で検討を進めていました。営業売上が下振れした場合、営業支出が上振れした場合、借入利息が高くなった場合。それでも事業が生き残れるのかを、巨大なスプレッドシートで検証していました。

保守的な前提を上回った、巨大なCAPEX

プロジェクトの大枠が固まったところで、金融機関に融資をつけていただくための交渉に臨みました。すると、開口一番、担当の方がおっしゃりました。「これは非常に保守的な前提を置いていますね。それでも耐えられるということは、かなりの検討の余地があります。」。計画は前に進み始めました。

ところが、検討の途上で、私と金融機関が当初想定していたものを遙かに上回る、巨大なCAPEXが必要であることが判明しました。事業を開始するために、想定以上の資本投下が必要だったのです。

サンクコストを切り離すという問い

ここで、私は立ち止まりました。既に相当な時間を使っています。財務モデルは徹底的に磨き上げています。関係者にも動いてもらっています。金融機関にも検討していただいています。ここまで来ると、「何とか成立させたい」と思うのが普通でしょう。私自身も、その思いはありました。

しかし、経営判断において、ここで気をつけなければならない考え方があります。サンクコストです。これまでに費やした時間や労力は、もう戻ってきません。それらを惜しんで、これからさらに資本を投入する理由にはなりません。そこで、自分自身に一つの問いを投げかけました。「もし今日、初めてこの条件を提示されたとしたら、それでも私は、この事業をやるだろうか。」

財務モデルに入れてみたら、崩れた

その時点で、私は金融機関にも現状について話をしました。そして、方向としては撤退を検討することになりました。ただし、そこで感覚だけで結論を出すことはしませんでした。私は、「念のため、この条件を財務モデルに入れた結果をお伝えします。」と伝えました。

そして、財務モデルに新たな条件を入れました。追加されるCAPEX、それに伴う資金調達、返済負担、その他の必要コスト。スプレッドシートのあらゆるセルが動きました。その結果は、明快でした。「ちょっと厳しい」という程度ではありません。「崩れた」のです。

ストレスケースで崩れる、ということの意味

ストレスケースで崩れました。「では、標準ケースで試算し直せばよい」とは考えませんでした。プロジェクトファイナンスは、プロジェクトが途中で破綻する現実的な懸念があるというだけで、成立しないのです。標準ケースだけを見れば成立するかもしれません。しかし、現実的に想定される下振れによってプロジェクトが破綻するのであれば、それはプロジェクトファイナンスとして成立しません。プロジェクトそのもののキャッシュフローに依拠して資金を調達する以上、ストレスケースでの耐久性は、単なる参考資料ではなく、事業成立性そのものを判断するための重要な材料になります。

撤退という結論

その結果を金融機関にも伝えました。金融機関も検証した上で、撤退の判断を支持しました。撤退する。それが最終的な結論でした。むき出しの経営判断が求められるプロジェクトファイナンスの局面において、私と金融機関が下したビジネスジャッジメントは、サンクコストを一切考慮せず、将来のコストとリスクを背負うことを切り捨てるという、冷徹なものでした。

この経験を通じて、改めて感じたことがあります。プロジェクトファイナンスは、資金調達の技術であると同時に、経営判断をむき出しにする仕組みです。通常の事業判断では、「将来は成長する」「戦略的な価値がある」「別の事業とのシナジーがある」といった、さまざまな要素を考慮します。もちろん、それらは重要です。しかし、プロジェクトファイナンスでは、最後には極めてシンプルな問いに戻ってきます。「この事業が生み出すキャッシュフローで、必要な投資を回収し、借入金を返済し、それでも事業を継続できるのか。」ここから逃げることはできません。すなわち、プロジェクトファイナンスでは純度の高い経営判断が要求されます。

「資金を調達してはいけない」という判断

そして、もう一つあります。プロジェクトファイナンスというと、「どうやって資金を調達するか」という技術に目が向きがちです。しかし、私は今回の経験から、むしろ逆の側面が重要なのだと感じました。「この案件には、資金を調達してはいけない」と判断することです。

資金を調達できることが、必ずしも成功ではありません。借りられるから借りる。金融機関が検討してくれるから進める。ここまで準備したから続ける。それでは、経営判断とは言えないでしょう。重要なのは、「この条件で資金を入れても、本当に将来のキャッシュフローがそれを支えられるのか」ということです。

サンクコストが、また判断を難しくする

そして、この判断を難しくするのが、サンクコストです。ここまでやった。ここまで準備した。これだけの人が動いている。だから、あと少しだけ頑張ろう。しかし、過去に投入したものは、もう戻ってきません。見るべきなのは、これからです。これから投入する資本と時間に、それに見合うリターンがあるのか。それだけです。

「逃げる」は、「負け」ではない

「逃げる」という言葉には、否定的な響きがあります。しかし、私は今回の経験からも、「逃げる」は戦略の一つであると改めて思い知らされました。逃げるべきではないところで逃げれば、それは「負け」です。しかし、数字を見て、前提を見て、リスクを見て、将来のキャッシュフローを見て、そして、「これ以上の資本投下をしない」と判断します。それは「負け」ではありません。

事業を始めることも経営。事業を続けることも経営。そして、これ以上の資本投下をしないことも経営です。撤退することも経営です。プロジェクトファイナンスの現場では、ときに「どうやって資金を調達するか」よりも、「そもそもこの事業にこれ以上の資本を投下してよいのか」という問いの方が重要になります。そして、その問いに対する答えが「No」であるなら、そこで立ち止まらなければなりません。それは、負けではありません。未来の損失を回避するための、経営判断です。

キャッシュフローが潰れるなら、やらない、これが経営の原則

今回は、プロジェクトファイナンスという、純度の高い経営判断が求められる場面だったため、その判断の切れ味が鋭く出ました。事業会社が行う個別プロジェクトでは、事業ポートフォリオやシナジー、戦略的価値など、他のパラメーターも入り込むため、判断の切れ味を調整する必要は当然あります。しかし、基本的な考え方は変わりません。キャッシュフローが潰れるのであれば、やりません。この単純な原則が、企業経営を守るのです。

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